「ブラッサム」悠樂軒のモデルは燕楽軒?宇野千代が18日間働いた史実・場所
朝ドラ「ブラッサム」、上京した葉野珠(石橋静河)が、東京・本郷で働くことになる西洋レストランが「悠樂軒(ゆうらくけん)」です。
ヒロインの実在モデル・宇野千代も、1917年(大正6年)に本郷のレストラン「燕楽軒(えんらくけん)」で18日間だけウエイトレスとして働いた史実があります。
燕楽軒は芥川龍之介や菊池寛など、当時の作家や編集者たちが訪れるレストランでした。
「ブラッサム」に登場する悠樂軒と、宇野千代が実際に働いた燕楽軒の史実、場所や文学者との出会いを解説します。
「ブラッサム」悠樂軒とは?珠が働く本郷の西洋レストラン
「ブラッサム」に登場する「悠樂軒(ゆうらくけん)」は、珠が上京後に働くことになる西洋レストランです。
故郷の岩国を離れ、いとこの木村保(金子大地)がいる東京・本郷の下宿へ向かった珠。その新しい生活の中で働くお店です。
悠樂軒の店長は、トレンディエンジェルの斎藤司さんが演じる「熊田」。さらに、松子、スギ、ヨネという3人の女給が働いています。
- 熊田(斎藤司)…「悠樂軒」の店長
- 松子(瀬戸さおり)…ウエイトレスの中では一番のベテラン
- スギ(愛/ヨネダ2000)…ヨネと仲が良い女給
- ヨネ(誠/ヨネダ2000)…スギと仲が良い女給
悠樂軒は、珠が東京で新しい人々と出会う場所になりそうです。
悠樂軒のモデルは「燕楽軒」?宇野千代が働いた実在のレストラン
「ブラッサム」の悠樂軒と重なるのが、実在した西洋レストラン「燕楽軒(えんらくけん)」です。
燕楽軒は、かつて東京・本郷三丁目にあったレストラン。若き日の宇野千代が、ここでウエイトレスとして働いていました。
ドラマの「悠樂軒」が、宇野千代が働いた実在のレストラン「燕楽軒」をモデルにしていると考えられます。
よく似た名前の響きや本郷という場所、主人公が働くという設定などから、ドラマの「悠樂軒」は実在した「燕楽軒」をモチーフにしたレストランと考えられます。
宇野千代が燕楽軒で働いたのは1917年(大正6年)・20歳の頃
宇野千代が燕楽軒で働いたのは、1917年(大正6年)、20歳の頃です。史実では、宇野千代は教員の職を離れてすぐに上京したわけではありません。
1915年(大正4年)、教員時代の恋愛問題で職を失い、岩国を離れて京城(現在の韓国・ソウル)へ渡りました。
翌1916年(大正5年)に帰国すると、従兄の藤村忠(ふじむら・ただし)を頼って京都へ行き、同棲生活を始めます。
また、「ブラッサム」の登場人物「木村保」の実在モデルと考えられる「藤村忠」については、以下の記事で詳しく解説しています。
そして1917年、忠が東京帝国大学(現在の東京大学)に入学したことに伴い、2人で上京しました。上京後は帝大のある本郷に住みましたが、仕送りを断たれ、生活は苦しかったようです。
千代は雑誌社の事務や家庭教師など、さまざまな仕事を転々。その中の一つが、燕楽軒のウエイトレスでした。燕楽軒で働いた期間は、わずか18日間と伝わっています。
宇野千代が燕楽軒で働いた前後の年表は、以下の通りです。
| 年代 | 宇野千代の史実 |
|---|---|
| 1915年(大正4年) | 教員を辞め、京城(現在のソウル)へ向かう |
| 1916年(大正5年) | 帰国後、従兄の藤村忠を頼って京都へ行く |
| 1917年(大正6年) | 藤村忠と上京。本郷の燕楽軒で18日間働く |
| 1919年(大正8年) | 藤村忠と結婚 |
| 1921年(大正10年) | 小説「脂粉の顔」が懸賞小説で一等入選 |
| 1922年(大正11年) | 「墓を発く」が文芸誌「中央公論」に掲載される |
ドラマの珠は、教員を辞めて岩国から東京へ向かいますが、史実の宇野千代は、京城、京都での生活を経て、上京しています。
燕楽軒はどこにあった?東京・本郷三丁目の場所
宇野千代が働いていた「燕楽軒」は、現在の東京都文京区本郷三丁目付近にあった西洋レストランです。
燕楽軒の向かい側には、当時の文壇を代表する雑誌「中央公論」を発行していた中央公論社がありました。
そのため燕楽軒には、中央公論の編集者や、編集者に連れられた作家たちが訪れていたのです。
現在、燕楽軒は残っていませんが、近くの本郷菊坂町(現在の文京区本郷5丁目)には、のちに千代が尾崎士郎と暮らした「菊富士ホテル」もありました。
燕楽軒には芥川龍之介・菊池寛ら文学者が集まっていた
宇野千代にとって、燕楽軒での仕事は、のちの作家人生につながる重要な経験となりました。
燕楽軒には、当時の文壇を代表する編集者や作家たちが訪れていました。
- 瀧田樗陰(たきた・ちょいん)…文芸誌「中央公論」の名編集者
- 芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)…「羅生門」「鼻」などで知られる小説家
- 菊池寛(きくち・かん)…「父帰る」「恩讐の彼方に」などで知られる小説家
- 久米正雄(くめ・まさお)…芥川龍之介とも親交のあった小説家
- 佐藤春夫(さとう・はるお)…小説や詩など幅広く活躍した文学者
- 今東光(こん・とうこう)…のちに「お吟さま」などを発表した小説家
特に千代の人生に大きな影響を与えたのが、「中央公論」の名編集者・瀧田樗陰との出会いです。
瀧田は毎日のように燕楽軒を訪れる常連客で、チップに50銭銀貨を置いていったといいます。このときの縁は、のちに千代が小説を発表する際にもつながっていきます。
また、芥川龍之介の短編小説「葱(ねぎ)」は、若き日の宇野千代がモデルとされています。
当時、宇野千代は文士たちの間でも注目されていて、今東光の弟で作家の今日出海(こん・ひでみ)は、千代を「本郷の女王(クイン)」と呼んだことを回想しています。
燕楽軒の出会いが宇野千代の作家デビューにつながった
宇野千代(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
宇野千代が燕楽軒で働いたのは、わずか18日間でした。しかし、その短い期間に出会った文士たちとの交流は、その後の作家人生に大きく影響します。
1921年(大正10年)、夫の藤村忠と札幌で暮らしていた千代が応募した小説「脂粉の顔」が、時事新報の懸賞小説で一等に入選。賞金200円を獲得しました。
さらに小説「墓を発く」を書き上げると、燕楽軒で顔なじみになった瀧田樗陰のいる中央公論社へ原稿を送ります。
その後、1922年(大正11年)5月号の「中央公論」に「墓を発く」が掲載され、原稿料366円を受け取りました。
燕楽軒での18日間は、宇野千代が文学者たちと接点を持ち、作家として歩み始めるきっかけの一つになりました。
ヒロイン・葉野珠の実在モデル、宇野千代の生涯については、以下の記事で解説しています。
【出典・参考資料】
まとめ
「ブラッサム」に登場する西洋レストラン「悠樂軒」は、東京・本郷で葉野珠(石橋静河)が働くことになるお店です。
実在モデル・宇野千代も、1917年(大正6年)に本郷三丁目にあった「燕楽軒」で18日間だけ働いていました。燕楽軒には芥川龍之介や菊池寛、瀧田樗陰など、多くの文学者が訪れていました。
千代はそこで出会った瀧田との縁から、のちに小説「墓を発く」を「中央公論」に掲載することになります。
わずか18日間という短い勤務でしたが、燕楽軒は宇野千代の作家人生につながる重要な場所でした。
他にも「ブラッサム」のキャスト・スタッフ一覧は、以下でまとめています。
放送後1週間以内なら、ネットで見られる「NHK ONE」で「ブラッサム」を視聴できます。ただし、1週間を過ぎた回は、有料の「NHKオンデマンド」で視聴できます。
そこでオススメなのが、動画配信サービス「U-NEXT」を経由して「NHKオンデマンド」に登録する方法です。
- U-NEXTは31日間の無料トライアルあり
- 登録時に1,000円分のポイントがもらえる
- そのポイントをNHKオンデマンド「まるごと見放題パック」に使える
- 「ブラッサム」から過去作「ひよっこ」「ひまわり」「おしん」なども見放題
\ お試し視聴可能 /
※2026/10/04時点の情報です。最新情報は「U-NEXT」公式サイトで、ご確認ください。
また、「U-NEXT」をオススメしている理由、注意点などは以下で解説しています。

