NHK連続テレビ小説「チョッちゃん」は、1987年4月6日から1987年10月3日まで、全156回放送された朝ドラです。
朝ドラ38作目となる「チョッちゃん」のヒロイン・北山蝶子役は「古村比呂」さんが演じています。脚本を手掛けたのは「金子成人」さんです。
朝ドラ「チョッちゃん」のあらすじは、以下の通りです。
北海道滝川で自由に育った北山蝶子(チョッちゃん)が、父の反対を押し切って音楽学校に進学し、天才バイオリニストの岩崎要と結婚。
2人の子どもを育てながら、戦時色が濃くなる中、さまざまな困難を天真爛漫に乗り越えていく半生を描く。黒柳徹子の母「黒柳朝」がモチーフ。
「チョッちゃん」のヒロイン・北山蝶子の実在モデル、原作本について紹介していきます。
原作本は「黒柳朝」さんが書いた自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』です。
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蝶子のモデルは、黒柳徹子の母「黒柳朝(くろやなぎ・ちょう)」

「古村比呂」さんが演じたヒロイン・北山蝶子の実在モデルは、黒柳徹子さんの母「黒柳朝(くろやなぎ・ちょう)」さんです。
「黒柳朝」さんは71歳でエッセイストとしてデビューし、波乱万丈な人生は自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』で描かれ、ベストセラーとなります。朝ドラ「チョッちゃん」は、この本が原作です。
「黒柳朝」さんのプロフィールは、以下の通りです。
幼少期と青春時代
黒柳朝さんは1910年9月6日、北海道空知郡滝川町(現・滝川市)で開業医の父・門山周通と母・三好の長女として生まれました。
1923年、岩見沢高等女学校(現・北海道岩見沢西高等学校)に進学し、4年間の寄宿舎生活を送りました。
1927年に上京し、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科に入学。在学中に、後に夫となる黒柳守綱と出会います。黒柳守綱は当時、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の首席ヴァイオリン奏者でした。
結婚と戦争による苦難
黒柳守綱と結婚した黒柳朝さんは、東京・乃木坂で新婚生活を始めます。自身の言葉によれば「音楽学校を卒業することもなく、志半ばでパパと出会い、まるで人さらいに遭ったように結婚させられていた」と語っています。
そして1933年8月9日、長女の黒柳徹子さんを出産しました。1944年、夫が中国戦線へ出征。さらに、1945年の東京大空襲によって住まいを失い、子供たちを連れて青森県へ疎開します。
その後、生活のために行商を行い、終戦後もしばらくその仕事を続けました。夫がシベリア抑留から帰国した後も、黒柳朝さんは引き続き家計を支えながら子育てに奮闘しました。
『チョッちゃんが行くわよ』の誕生とベストセラーに

黒柳朝さんが随筆家としてデビューしたのは、71歳の時です。きっかけは、娘・黒柳徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』が大ヒットし、自身にも注目が集まったことです。
1982年、『主婦と生活』誌に連載された自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』がベストセラーになります。その後も執筆活動を続け、1993年には『チョッちゃん物語』を発表しました。
娘の黒柳徹子さん本人も朝ドラ「チョッちゃん」に、特別出演しています。
晩年と功績
黒柳朝さんは随筆家としての活動だけでなく、文化活動にも積極的でした。滝川市名誉市民に選ばれ、市の花「コスモス」制定のきっかけを作るなどの功績を残しました。
長年にわたる活動と、多くの人々に愛された黒柳朝さんは、2006年8月16日、95歳で静かに生涯を閉じました。その温かな人柄と、人生の知恵に満ちた言葉は、今も多くの人々の心に生き続けています。
原作本は「チョッちゃんが行くわよ」、脚本は「金子成人」
前述の通り、朝ドラ「チョッちゃん」の原作本は「黒柳朝」さんが書いた自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』です。
朝ドラ「チョッちゃん」は、この原作をもとに脚本家「金子成人(かねこ・なりと)」さんが脚色した作品です。金子成人さんのプロフィールは以下になります。
1949年1月15日生まれ。長崎県佐世保市出身。会社員生活を経てシナリオ研究所に入り、倉本聰に師事。1972年に脚本家デビューし、『太陽にほえろ!』『前略おふくろ様』などで注目を集めた。『死にたがる子』で放送文化基金賞を受賞し、1997年には向田邦子賞を受賞。
まとめ

黒柳朝さんは、戦争や苦難を乗り越え、ユーモアあふれるエッセイで多くの人に愛された作家です。黒柳朝さんの半生をモデルとした朝ドラが「チョッちゃん」です。
「チョッちゃん」は2025年3月からNHK・BSで再放送、日程については以下の記事でまとめています。
