NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、2016年4月4日から2016年10月1日まで、全156話放送された朝ドラです。
ヒロイン・小橋常子(こはし・つねこ)を演じるのは「高畑充希」さん、脚本を手掛けたのは「西田征史」さんです。「とと姉ちゃん」のあらすじは以下の通りです。
昭和初期の静岡に生まれた小橋常子は、亡き父に代わり家族を支え“とと姉ちゃん”と呼ばれる。戦後、東京で出版社を立ち上げ、天才編集者・花山と共に女性の暮らしを支える雑誌「あなたの暮し」を創刊し一世をふうび。戦前・戦後をたくましく生き抜く家族の物語。
「とと姉ちゃん」ヒロイン・小橋常子(高畑充希)のモデルとなった実在の人物が、「大橋鎭子(おおはし・しずこ)」さんです。
「とと姉ちゃん」は「大橋鎭子」さんをモデルとして、 総合生活雑誌『暮しの手帖』の創業の軌跡をモチーフに描いたフィクションです。
戦後の混乱期に『暮しの手帖』という雑誌を立ち上げ、女性たちの暮らしを豊かにすることを目指した「大橋鎭子」さん生涯を紹介します。
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大橋鎭子(おおはし・しずこ)とは?戦後を生き抜いた女性編集者の姿

「とと姉ちゃん」ヒロイン・小橋常子のモデル「大橋鎭子」さんは、戦争によって激変した日本社会で、どのように道を切り開いていったのでしょうか?
東京に生まれた大橋鎭子

大橋鎭子さんは、1920年(大正9年)3月10日、東京・麹町の榊病院で生まれます。父・武雄は北海道帝国大学を卒業、繊維会社に勤めるエリート技術者で、当初は比較的裕福な家庭環境で育ちました。
しかし、父が病に倒れたことをきっかけに一家の暮らしは徐々に厳しくなり、さらに1930年(昭和5年)、父が病死したことで大橋家は家計を支える柱を失います。
幼いながらも、鎭子さんは長女として家族を守る決意を固め、学業と家族の生活支援を両立させながら成長していきました。
朝ドラのタイトル「とと」は「父」を意味し、「とと姉ちゃん」は、父親の役割を代わって母と妹たちを守る長女を指します。ヒロインが「とと姉ちゃん」という愛称なのは、朝ドラの設定でフィクションと推測されます。

父の死と一家を支える覚悟
父の死後、長女として一家を支える決意を固めた鎭子さんは、高等女学校を卒業後、日本興業銀行に就職して家計を支えました。その後、日本女子大学に進学しますが、在学中に肺結核を患い、やむなく中退することとなります。
病から回復した後は、日本読書新聞社に入社し、編集者として働き始めました。戦時中で物資も情報も統制された厳しい状況の中、男性中心だった出版業界で、若い女性が編集の仕事を続けるのは容易なことではありませんでした。
それでも鎭子さんは、持ち前の粘り強さと実直さで信頼を築き、戦後の『暮しの手帖』創刊へとつながる編集のキャリアを着実に積み上げていきます。
大橋鎭子、雑誌「暮しの手帖」創刊までの軌跡

大橋鎭子さんは、なぜ『暮しの手帖』を作ろうと決意したのでしょうか?
花森安治との運命的な出会い

戦後間もなく鎭子さんは、日本読書新聞でカット挿絵の仕事をしていたのが縁で、後に『暮しの手帖』の初代編集長となる花森安治と出会います。
花森は、戦時中に大政翼賛会でプロパガンダに関わった過去を持ちながらも、「これからは人々の暮らしを豊かにするために力を使いたい」という強い思いを抱いていました。
2人は「女性の役に立つ雑誌を作りたい」という目標で意気投合、1946年(昭和21年)に鎭子と花森、鎭子の妹たち(晴子・芳子)および後に晴子の夫となる横山啓一などとともに婦人向け雑誌『スタイルブック』を創刊。
2年後の1948年9月に誌名を『美しい暮しの手帖(後の暮しの手帖)』として新たに創刊します。
「暮しの手帖」が支持された理由、生活者目線を貫いた雑誌作り

『暮しの手帖』の最大の特徴は、”生活者の目線”を大切にしたことでした。
広告を一切載せず、商品テストを実施して本当に良いものだけを紹介。特集記事では、家庭料理、衣服のリフォーム方法、手作り家具の作り方など、当時の庶民にとって実用的で役立つ情報を提供しました。
特に、メーカーの広告に頼らず独自に行った「商品テスト」や、工夫に満ちた「家庭料理のレシピ特集」などが、多くの読者から高く支持されました。生活者の目線に立ち、実用的かつ信頼できる情報を提供する姿勢が、長年にわたり愛され続けた理由のひとつです。
このスタイルは、「企業ではなく読者のために」という編集方針を貫き続けた大橋鎭子さんの信念によるものでした。
戦後の女性たちに勇気を与えた存在
戦争で大切な家族や生活を失った女性たちにとって、『暮しの手帖』は、希望を取り戻すための”生きる教科書”となりました。
鎭子さん自身も、厳しい時代を生き抜いた経験を持っていたからこそ、読者に寄り添う雑誌づくりができたのです。
大橋鎭子さんは生涯独身であり、結婚はせずに雑誌編集に情熱を注ぎ、家族や仲間とともに『暮しの手帖』を作り上げました。
晩年の大橋鎭子
晩年の鎭子さんは、編集現場から少し距離を置きながらも、『暮しの手帖』の精神を守り続けました。2000年代に入ってからも、新たな時代の読者に向けて雑誌のあり方を考え続け、その姿勢は周囲に大きな影響を与えました。
そして、2013年3月23日、鎭子さんは肺炎のため静かに息を引き取りました。享年93歳。ちょうど『暮しの手帖』創刊から65年目の節目の年でした。
彼女が残した「暮らしを大切にする」というメッセージは、今も多くの人たちに受け継がれています。
朝ドラ「とと姉ちゃん」と大橋鎭子の史実の違い

朝ドラ「とと姉ちゃん」ヒロイン・小橋常子(こはし・つねこ)を演じるのは「高畑充希」さんです。モデルの「大橋鎭子」さんの人生との共通点と違いをご紹介します。
「とと姉ちゃん」で描かれたエピソードと実話の違い
朝ドラ「とと姉ちゃん」では、父を亡くした常子が家族を守るために奮闘する姿、雑誌を創刊するまでの苦労が丁寧に描かれました。
基本的な流れは大橋鎭子さんの実話をベースにしていますが、ドラマの演出上、フィクションが加えられている部分もあります。
たとえば、幼少期は家族は静岡県浜松に暮らしていますが、モデルの大橋鎭子さんは東京で生まれ、幼少期は北海道や東京で生活していました。
また、ドラマでは「あなたの暮し出版」という社名が登場しますが、実際には『暮しの手帖社』が正式な名称です。
常子の妹たちとの関係や、雑誌をめぐる人間ドラマも、史実とは少し異なる演出がなされています。
ヒロイン常子に込められた大橋鎭子の信念を描く
ドラマで描かれた「どんな時も、誰かの役に立つものを届けたい」という常子の姿勢。これは、まさに大橋鎭子さんが生涯をかけて貫いた信念そのものです。
どんなに困難な状況でも、「生活を守る」という一番大切なテーマを見失わなかった大橋鎭子さんの精神が、朝ドラ「とと姉ちゃん」のヒロイン・常子に色濃く投影されています。
まとめ

「とと姉ちゃん」ヒロインのモデル「大橋鎭子」さんは、『暮しの手帖』を通して、戦後の日本の女性たちに勇気と希望を届け続けました。
「とと姉ちゃん」の再放送時間については、以下の記事で詳細をまとめています。

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