「豊臣兄弟!」箱本十三町とは?秀長が郡山で進めた商人誘致と町自治
「豊臣兄弟!」第38話「和を以(も)って、大和をなす」では、豊臣秀長(仲野太賀)が大和国の財政を立て直すため、城下町・郡山の商いを活性化しようと動き出します。
奈良の豪商たちが郡山への移転を拒む中、秀長が目をつけるのが、郡山で新たに店を開いた筆屋の才蔵(間宮祥太朗)です。
史実でも秀長は郡山城に入ると、同業者を城下町に集め、営業上の独占権を認める商工業保護政策を進めました。そこから生まれたのが、大和郡山に今も名を残す「箱本十三町(はこもとじゅうさんちょう)」と「箱本制度」です。
秀長が郡山で進めた商人誘致と、13の町が月替わりで町全体の運営を担った独特の自治制度を解説します。
「豊臣兄弟!」第38話|秀長が郡山に商人を呼び込む
第38話の舞台は、秀長が新たに治めることになった大和国(現在の奈良県)です。
財政がひっ迫する中、秀長は城下町・郡山の商いを盛り上げようとしますが、これまで大和の商業を担ってきた奈良の豪商たちは、既得権益を守るため郡山への移転を拒否します。
そこで秀長が起爆剤にしようと考えるのが、才蔵の営む筆屋です。
才蔵は筆づくりの腕が確かな職人で、もとは奈良に店を構えていましたが、ある決意を胸に大和郡山で新たに商いを始めた人物です。秀長は才蔵の商売を成功させることで、「郡山なら商売になる」と商人たちに示します。
箱本十三町とは?秀長が整備した大和郡山の商人町
↑郡山城と城下町の地図 出典:「郡山城及城下町」(奈良県立図書情報館所蔵)
「箱本十三町」とは、郡山城の外堀の内側にあった町々を中心とする城下町のことです。外堀の内側の町は「内町(うちまち)」と呼ばれ、原則として地子(じし:土地にかかる税)が免除されていました。
1585年(天正13年)9月に郡山城へ入った秀長は、城下町の建設を進めるとともに、同じ業種の商人や職人を一つの町に集め、営業上の独占権を認めるなどの保護政策を行います。
1588年(天正16年)の「郡山惣町分日記(こおりやまそうまちわけにっき)」(春岳院文書)には、城下町の基本となった13町が記されています。
- 本町
- 魚塩町
- 堺町
- 柳町
- 今井町
- 綿町
- 藺町(いのまち)
- 奈良町
- 雑穀町
- 茶町
- 材木町
- 紺屋町(こんやまち)
- 豆腐町
同じ史料には鍛冶屋町も記されていますが、本町の枝町(えだまち:本町から分かれた町)だったため、基本となる13町には数えられていません。
茶を扱う商人が集まった「茶町」、綿商人の「綿町」、染物職人の「紺屋町」など、商売や職業と結びついた町が形成されたことも、郡山の城下町の特徴です。
内町はその後も発展を続け、延宝年間(1673〜1681年)ごろには19町、享保年間(1716〜1736年)ごろには27町に広がっています。
秀長はなぜ郡山に商人を集めた?城下町を経済の中心へ
1585年(天正13年)、秀長は大和・紀伊(現在の和歌山県と三重県南部)・和泉(現在の大阪府南西部)を治める大名となり、郡山城を本拠とします。
入城翌月の同年10月には奈良の商売を禁じ、郡山の城下を繁栄させる政策に乗り出しました。さらに1586年(天正14年)ごろには、郡山13町にそれぞれの商売に関する特許状を与えています。
秀長は、単に「商人に郡山へ来てほしい」と呼びかけただけではありません。特定の商売を行う権利を認め、同業者を一つの町に集めることで、郡山そのものを大和の商業拠点にしようとしたのです。
この特権の仕組みは、のちの株仲間(かぶなかま:営業権を独占する同業者組合)へと発展していきます。
奈良の豪商が移転を拒み、秀長が郡山に商人を呼び込もうとする第38話の展開は、こうした史実と重なる部分があります。
「箱本制度」とは?朱印箱を13町が1カ月交代で管理
「箱本」という名前は、町の特権を示す文書を納めた「朱印箱(しゅいんばこ)」に由来します。
特権の根拠となる文書を朱印箱に納めて封印し、本町をはじめとする13町が1カ月交代で朱印箱を持ち回りました。その月に朱印箱を預かった町が「箱本」です。
箱本となった町は朱印箱を町内の会所(かいしょ:町の集会所)に置き、紺地の木綿に白く「箱本」と染め抜いた小旗を竿に付けて立てるのが習わしでした。
各町には「年寄(としより)」「月行事(がちぎょうじ)」「丁代(ちょうだい)」と呼ばれる世話役がいて、それぞれの町の自治にあたります。そのうえで、箱本になった町の年寄が、その1カ月間、郡山の町全体の世話を全責任をもって担いました。重要な問題が起きたときは、前月・当月・翌月の箱本の三者で処理する決まりもありました。
1588年(天正16年)8月には「箱本制度」が始まったとされ、秀長が郡山に入ってから約3年で、この仕組みが形になったことになります。
箱本制度は、商人たちへ営業上の特権を与えるだけの制度ではありません。13の町が順番に郡山全体の運営を担う、住民による自治の仕組みでもあったのです。
箱本が担った3つの仕事「治安・消防・伝馬」
箱本にはさまざまな仕事がありましたが、なかでも最大の責務とされたのが「治安」「消防」「伝馬(てんま)」の3つです。
- 治安…柳町・高田町・鍛冶町の大門(おおもん)の勤番と、町中50余カ所の木戸(きど:町の出入口の門)の管理
- 消防…柳町・堺町の火見櫓(ひのみやぐら)での見張りと、火災時にすぐ駆けつけられる火消しの割り当て・費用の準備
- 伝馬…藩の公用に必要な人や馬を出し、運輸や通信を支える
豊臣時代には、13町から23頭の伝馬を公用に出していました。この役目はその後の領主にも引き継がれ、柳澤(やなぎさわ)氏の時代には60頭にまで増えています。
このほか、藩からの伝達、税の徴収、訴訟、株仲間の統制、高札場(こうさつば:お触れを掲げる場所)の管理など、町の運営に関わる幅広い仕事を担いました。
各町が平等に町政に参加する仕組みで、世襲のように特定の人物が権限を握り続ける色合いが少なかったことも、郡山の箱本制度の特徴です。
箱本十三町の町名は現在の大和郡山にも残っている
↑大和郡山市の紺屋町
秀長の時代に形づくられた城下町は、その後の大和郡山の町並みにも大きな影響を残しました。
現在の大和郡山市にも、茶町、藺町、綿町、豆腐町、紺屋町、雑穀町、材木町、本町、魚町、塩町など、当時の商売や職業を思わせる町名が残っています。
紺屋町には、藍染め商の町家を再生した「箱本館『紺屋』」があり、豆腐町には城下町の歴史を伝える資料館「箱本物語館」があります。町名をたどりながら歩けば、秀長が商人や職人を集めた時代の名残を感じることができます。
まとめ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第38話では、秀長が筆屋の才蔵をきっかけに、郡山へ商人を呼び込もうとします。
史実でも秀長は1585年(天正13年)に郡山城へ入ると、奈良の商売を禁じ、同業者を城下町に集めて営業上の特権を認めました。その13町を土台に、1588年(天正16年)に始まったとされるのが「箱本制度」です。
朱印箱を13町が1カ月交代で預かり、その町が郡山全体の治安・消防・伝馬を担う。商業振興と住民自治が結びついたこの仕組みは江戸時代にも受け継がれ、町名は今も大和郡山に残っています。
他にも「豊臣兄弟!」に登場するキャストやスタッフの一覧は、以下の記事でまとめています。
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